第118回 IPU会議 参加報告

 4月13日から19日まで、南アフリカ共和国・ケープタウンにおいて、130カ国、700名の各国議会代表が参集して開催された第118回IPU会議に参加し、民主主義及び人権に関する第3委員会で、人身取引問題に関する我が国の取組み等について意見陳述をしてきました。

以下、その経過を報告します。

4月13日(日)

13:20 

成田発 BA(ブリティッシュ・エアウェイズ)008便にて、まずロンドンへ。出発が14:10分となり、ロンドン・ヒースロー空港での乗換えが大丈夫なのか心配に。途中、北極海上空は、長時間揺れが続き、出発前同僚の谷口隆義議員が温暖化の影響では、と云っていたことを思い出しました。

17:53 

ロンドン・ヒースロー空港へ 17:15着の予定より遅れて到着(時差8時間 所要11時間43分)

新しくオープンしたBA専用の第5ターミナルに到着するも、ケープタウン行は、第2ターミナルの為、空港の西端から南東の端まで大移動。トランジットにもかかわらず、荷物検査の列が渋滞し、ケープタウン行便の出発時刻が迫る。空国内を猛ダッシュ。何とか搭乗口に辿り着き、一安心。

ところが、いつまで経っても搭乗ゲートが開かない。係員に何度尋ねても、理由は分からない、を繰り返す。

21:00 

ロンドン発 BA59便 結局1時間45分遅れで出発。

4月14日(月)

8:45 

ケープタウン着(所要 10時間45分 時差7時間)空港内の特設テントで入国手続を済ませ、早速会議場へ。

10:00 

会議場到着

会議場 入口 会議場 中

10:15〜13:00 

本会議

130カ国の代表団で熱気あふれる会議がスタート。会議中、事務局から私のスーツケースがロスト(紛失)した旨伝えられ、びっくり!

13:00〜14:30

カナダ議員団との昼食会

カナダ代表団は、各政党から国会議員が参加しており、各々ユニークな意見表明があり、楽しい会合となりました。

14:30〜

再び本会議

 

16:30〜18:30 

本会議を抜け、民主主義及び人権に関する第3委員会へ

この委員会では、「移民労働者、人身取引、外国人嫌い及び人権」に関し、国連の事務局より、基調報告がなされ、その後、各国における取組の紹介及び、意見表明がなされました。

第3委員会 基調報告

4月15日(火)

5:00 起床

英語でのスピーチの練習を繰り返す。日頃の不勉強を猛省。内容が盛りだくさんで、どうしても制限時間をオーバーする。本番では、かなり早口にしないと。

9:00〜11:30

スピーチの順番が予め指定されず、突然指名される。議長がスペイン語を話す為、スペイン語から英語、英語から日本語への同時通訳の声が入り混じり、落ち着いて議論するという雰囲気ではない。

いざ指名を受けると、少々早口で、スピーチ開始。強調したい部分では、少しゆっくり大きな声でと意識しながらなんとかスピーチを終える。制限時間ジャスト。(英文原稿・日本語原稿はこちら

終了後 本会議へ
15:00〜18:00
ロベン島・刑務所跡見学






      刑務所入口→
 小石の山の写真(右)は、1995年マンデラ大統領をはじめ、旧囚人達の同窓会開催の折、大統領が一つの小石を拾い、石切場の入り口に置いたところ参加者が次々と石を積み上げ、異なる石の山ができ、二度とアパルトヘイトのような事が起きないようにと、国の記念物に指定され、誰も触れることが出来ないようになったそうです。

刑務所の中庭

中庭に植えられている木の根っこの部分にマンデラ氏は日記のメモを埋めて隠したそうです。
独 房
食事のメニュー 囚人の識別表
雑 居 房
公明党議員ブログ日記に掲載された原稿

46664 何の数字か分かりますか?

 南アフリカ共和国ケープタウンの沖合のロベン島という小さな島に、ネルソン・マンデラ前大統領が1964年から1990年まで囚人として収容された刑務所が残されています。

 現在、負の世界遺産として登録され、一日1300人が船で島に渡り見学することが可能です。

 IPU会議に日本代表団の一員として参加した際、私も見学する機会を得ました。

 マンデラ氏は2m四方のコンクリート造りの独房にベッドも無く、床に敷く2枚のシートと4枚の毛布のみを与えられ26年間を耐えぬいたのです。南極に近い島ですから、冬の寒さは想像を絶するものであるにもかかわらず、窓には鉄格子のみでガラスも入っていません。

 氏は監視の眼を逃れ、後に、「自由への長い道」としてまとめられる日々の記録を残しました。氏の感化を受け、同じく囚人となった黒人の若者が刑務所内で通信教育を受け、釈放後、この中から国会議員や憲法裁判所判事が誕生したと聞き本当に驚きました。

 氏は、10数年間、島の採石場で素手で石切作業に従事させられました。採石場の壁に小さな穴が残されていました。トイレや昼食の際の休憩所として使用された場所です。実はここで、氏を始めとする有志が、アパルトヘイトを打破した後の憲法について議論を重ねていたのです。アパルトヘイトの反射的効果で、白人の監視員は穴に近づかなかった為、これが可能となったのです。現在、「憲法発祥の穴」と呼ばれています。

 46664は、1964年の466番目の囚人という意味でマンデラ氏に付けられた番号です。刑務所では名前さえ捨てさせられたのです。

人種差別や不当な人権侵害は絶対に許せない。どんな逆境にあっても希望を失ってはならないと強く感じました。

4月16日(水)

今日は、各委員会での決議を起草する準備の為、本会議が開かれません。午前中、希望峰の見学に。荒れ狂う波、よくぞここまでヨーロッパから辿り着いて上陸したものだと大航海時代のヨーロッパの人々の勇気に驚かされる。

午後の空き時間に、ウォーターフロントのショッピングセンターでおみやげを購入。

世界中でここでしか作られていないという紅茶(Rooibos tea)を購入。

18:30

Table Bay HotelBallroom

駐日大使主催のレセプションのお手伝いに。各国が参加国代表団を招待するので、どれだけの国が参加してくれるのか、又、どこの国が参加してくれるのか、最後まで分からず古屋大使も緊張気味。

写真でお分かりのように、本当に多勢の代表国が参加してくれました。

最終的には100名以上が参加して下さり、最も人気の大使レセプションとなりました。

通常は1時間程でお開きとなるのですが、帰る方がおらず、中締めまで2時間半の長丁場となりました。

後で聞いたところによると、他の国のレセプションより料理が格段に良かった為、皆さん腰を落ち着けてしまったとの事。私は、各国の代表団のお相手で一口も食べられませんでした。

4月17日(木)

9:00〜9:45

第3委員会で、「移民労働者、人身取引、外国人嫌い及び人権」に関する決議を採決
その後、本会議に戻り

11:00〜12:00

東ティモール議員団と懇談

女性議員の新しい国造りへの情熱がひしひしと伝わってくる面談となりました。

再び本会議に戻り、

13:15〜14:30

タイ議員団と昼食を兼ねながらの懇談

タイには2005、2007年と訪問し、多くの友人がおり、共通の話題で友好を深めることができました。

15:15〜16:00
イラク議員団との懇談
約束の時間を 過ぎても、代表団が現れず、帰ろうとした時
やっと到着。日本からの支援につき具体的な話し合いが出来ました。
公明党が提唱しているメソポタミア湿原の回復に多大な期待が
寄せられました。

20:45
ケープタウン発 ロンドンへ BA58便

空港内特設テントから搭乗まで、何故か1時間近く待たされ、結局30分遅れで、離陸。

4月15日(金)

7:05 ロンドン着

空港近くのシェラトンホテルで、シャワーを浴びて、着替えだけしてチェックアウト。

10:00〜11:00

英国議会の上院・下院を視察。
下の写真をクリックすると大きな画像が見られます。(戻る時はブラウザの戻るボタンを押して下さい)

上 院
下 院

トランジットの合間を利用して訪問出来るとは思わなかったので、大変感動しました。

演説が上手になるようにと、英の下院議員がさわるので、ブロンズがはげてきてしまっているディズレーリとチャーチルの像の靴の部分を私もさわってきました。

14:45 ロンドン発 BA005便

1時間遅れで離陸。慣れてしまいました。

9:35 成田着

自宅に戻り、シャワーを浴びて、14:00から開かれる近藤千鶴子千葉市議会議員の市政報告会へ。